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今回は女優でタレントの相田翔子についてです。
相田翔子といえば、1980年代後半から1990年代前半にかけて、超人気デュオ「Wink」でまさにアイドルとして一世を風靡しました。
日本レコード大賞も受賞し、紅白歌合戦にも出場するなど、芸能界の第一線で大活躍をしてきたタレントです。
「Wink」解散後は女優業に転身し、タレントとしてはバラエティ番組にも天然キャラとして出演するなど、まさに芸能界で長年大活躍をし続けています。
そんな相田翔子ですが、私生活では実は大きな病気にかかるなどのトラブルがあったようです。
最近になって明かされたことですが、相田翔子は以前大きな病気にかかり、芸能界を本気で引退するかどうか悩んだこともあったようです。
その病気とは突発性難聴とメニエール病という二つの病気だったということです。
あまり聴き慣れない病気ですが、相田翔子にとっては人生を左右するほどの大きな病気だったということです。
そこで今回の記事では「相田翔子が苦しんだ病気、突発性難聴とメニエール病とはどんな病気なの?」と題しまして、相田翔子を襲った病気について詳しく調べていきたいと思います。
目次
相田翔子が苦しんだ突発性難聴とはどんな病気?
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まず最初に、相田翔子が苦しんだ突発性難聴とはどんな病気なのかについて調べていきたいと思います。
「突発性難聴」というくらいですから、字の如く「突発的に、急に耳が聴こえなくなる病気」ということでしょうか。
厚生労働省のHPにはこう書いてありました。
「突発性難聴」とは、突然、耳の聞こえが悪くなり、耳鳴りやめまいなどを伴う原因不明の疾患です。
40~60歳代の働き盛りに多くみられ、ストレスや過労、睡眠不足、糖尿病などがあると起こりやすいことがわかっています。
聴力を回復させるには、早めに治療を開始することが重要です。
「突発性難聴」は急に耳が聴こえづらくなり、耳鳴りやめまいも出るそうです。
しかも、原因不明ということもあり、かなり厄介な病気のようです。
相田翔子の突発性難聴発症時はどんな症状だったの?
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相田翔子の突発性難聴発症時はこんな感じだったんだそうです。
子供の頃は病気知らずで、「将来の夢は女子プレロスラーだった」という相田。
Winkとして一世風靡したが、25歳だった1995年、「船の汽笛のような『ボー』という音が大音響で右耳に聞こえて。グラグラとなって、平衡感覚がなくなった」とひどい耳鳴りを感じた。
相田翔子が発症したのは1995年、25歳の時なんだそうです。
歌番組のリサーサルが終了し、楽屋に戻った時に急に耳に異変を感じたそうです。
船の汽笛のような大音響の耳鳴りということで、立ってられない程のかなりひどい耳鳴り。
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そこで、普通ならすぐに病院に行くはずなのですが、相田翔子の場合は仕事が多忙で休める状況ではなかったそうです。
その後、症状が少し落ち着いてきたことがあり、相田翔子が病院に行ったのは耳鳴りの発症から約二週間後。
しかし、このすぐに病院に行かなかったことが、さらに追い討ちをかけることになります。
後日病院で診察を受けると、医師から「突発性難聴」という診断が。
突発性難聴とは、突然音が聞こえなくなったり、聞こえづらくなる耳の病気。
主に片方の耳にだけ起こるため、なかなか気づかないケースも。
耳の奥の器官に障がいが起こり発症すると言われていますが、治療によっては回復が望める病気です。
しかし相田さんの場合は…。
突発性難聴は早期治療が大切で、発症後48時間以内の受診が望ましいと言われていますが、相田さんが病院を訪れたのは2週間後。
治療を受けないまま時間が経つと、聴力が低下したまま治らないケースもあるそう。
難聴は歌手にとって致命的な病気であり、この時相田さんは、芸能生活の分岐点に立たされていました。
本来なら「突発性難聴」はすぐにでも病院に行かなければいけない病気なんだそうです。
しかし、相田翔子が病院に行ったのは発症から二週間後ということもあり、入院することになったものの、医者からは来るのが遅かったため聴力の回復は難しいと言われてしまいます。
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この医者からの言葉は、まさに歌手である相田翔子にとっては致命的とも言える診断であり、本気で芸能界の引退を考えることになります。
失意の中で入院生活を送っていた相田翔子ですが、その入院生活の中で気づかされたことは、「自分は歌を歌うことが好き!」ということだったんだそうです。
その後は医者には回復は難しいといわれていた「突発性難聴」でしたが、何と奇跡的に耳が聴こえるようになります。
これは奇跡の回復といってもいい出来事。
それからは「Wink」を解散し、ソロ活動も開始。
この回復を機に、歌手としての活動以外にも女優業やバラエティ番組にも出演するなど、マルチな活躍をすることになります。
相田翔子はどん底の失意の中からの華麗なる復活を遂げます。
相田翔子にまたもや謎の耳鳴り!突発性難聴の再発か!
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1995年の「突発性難聴」から奇跡の回復を果たした相田翔子。
ですが、それから10年以上経過した2008年、38歳の時に再び病魔が相田翔子を襲います。
しかもまた急に激しい耳鳴りが!
まさかの「突発性難聴」の再発か!
「突発性難聴」回復後の活躍は歌だけに留まらず、バラエティや女優と多岐に渡り、順調な芸能生活を送っていました。
そしてプライベートでも嬉しい出来事が!
2008年、38歳の時、昭和の大女優・司葉子さんの三男・宏光さんと結婚します。
まさに幸せの絶頂でしたが、再び病魔が相田さんを襲います!
それは披露宴を終え、親族を労うための食事会でのこと。
乾杯を終え、トイレに立ったその時でした。
再び激しい耳鳴りが…。
しかも前回の音とは違う不快な高音で、強烈なめまいまで。
明らかに突発性難聴とは違う症状を感じたという相田さん。
顔から脂汗が吹き出し、呼吸すら出来ない状態に陥り、死をも意識したと話します。
前回の「突発性難聴」と同じ激しい耳鳴りであったものの、今回の耳鳴りは少し違ったようです。
立てないだけでなく、呼吸すらままならない症状であり、身の危険を感じざるを得ない状況でした。
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しかも、発症したのは相田翔子の結婚式後の食事会での出来事であり、あまりの症状に驚いた義理の母である女優の司葉子はある病院を相田翔子に紹介します。
すぐさま紹介された病院を訪れた相田翔子は、医者からこう告げられたそうです。
「相田さんの症状はメニエール病です」
メニエール病とはどんな病気?
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義理の母である司葉子の紹介で行った病院を訪れた相田翔子は、医者から「突発性難聴」ではなく、今度は「メニエール病」と診断されます。
この「メニエール病」とは一体どんな病気なのでしょうか。
メニエール病とは、体の平衡感覚をつかさどる耳の奥の“内耳”にリンパ液がたまることによって生じる病気のことです。
30~50歳代で発症することが多く、発症すると耳が詰まったような違和感や軽度の聴力低下が引き起こされます。
そして、体の平衡感覚に異常が起きて回るようなめまいが生じ、耳鳴りやさらなる聴力の低下が起こるようになるとされています。
このような症状は通常片方の耳にのみ生じますが、もう片方の耳に発症することも多く、一度症状が治まっても再発を繰り返していく過程で聴力が徐々に低下することが特徴です。
基本的な治療は薬物療法ですが、メニエール病は治療が難しいことも少なくありません。
また、メニエール病はストレスや疲れがたまったときに再発しやすいため、生活習慣を改善し再発を予防していく必要があります。
<引用元:https://medicalnote.jp/>
この「メニエール病」というのは、耳の奥にリンパ液がたまることで生じる病気ということです。
「メニエール病」の症状は「突発性難聴」とすごく似ていますが、原因不明の「突発性難聴」とは違い、原因が耳の奥にリンパ液がたまるということで、二つの病気はすこし違うようですね。
2008年の相田翔子の場合は、この「メニエール病」だったようです。
相田は「メニエール病」と診断された。
耳の奥にたまっているリンパ液が増えすぎて、三半規管の働きが乱れ、めまい、吐き気、耳鳴りなどを起こす。
結婚式の準備や慣れない新生活への不安がストレスとなり、それが発病の原因と考えられた。
どうも根本的な原因は、日常生活でのストレスということだったようです。
相田翔子の場合は以前に「突発性難聴」を患ったということもあり、ストレスが耳に行く体質だったのかもしれませんね。
相田翔子の「メニエール病」は完治したのか
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1995年の「突発性難聴」の時は奇跡の回復をした相田翔子ですが、2008年の「メニエール病」の症状はどうなったのでしょうか。
症状が良くなり、完治しているのでしょうか。
これについては調べてみたところ、症状は軽くなっているものの、完全に完治はしてないということです。
「メニエール病」という病気自体が一度発症すると、症状が良くなってもストレスが溜まったりすると再発しやすい病気ということもあり、完全に完治というわけにはいかないようです。
相田は今も耳の不調を感じるときがあり、「歌えなくなってしまうのでは」と落ち込むときがあるが、「あるときから、この病気は自分の体の一部だと思って付き合っていこうと思うようになったら、だいぶ楽に……」とコメントしていた。
このコメントのように、相田翔子はこの病気を自分の身体の一部に感じているんだそうです。
とても力強いコメントですね。
相田翔子にしてみれば、そう思わずにはいられないという心境かもしれませんが、ファンの方にしてみれば、心から応援したい気持ちになるコメントです。
私生活では結婚もし、子宝にも恵まれた相田翔子。
病気にも負けず、これからも芸能界で末長く活躍していただきたいですね。