氷室京介と布袋寅泰の確執はどの程度なの?理由は何?二人の出会いから不仲になるまでの真相

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今回は氷室京介についてです。

氷室京介といえば日本を代表するロック・ミュージシャンの一人です。

伝説にロックバンドBOØWYのボーカリストであり、バンド解散後はソロとして日本のミュージックシーンにヒット曲を発表し続けてきました。

耳の不調から2016年5月をもってライブ活動に終止符を打ち、今後の活動のあり方が今もなおファンに期待されています。

ミュージシャンとして第一線を退いた氷室京介ですが、長年噂となっているのが布袋寅泰との確執についてです。

氷室京介と同じBOØWYのメンバーであった布袋寅泰との関係性については、バンド解散後も常に注目され続けていました。

今回の記事では注目され続けてきた氷室京介と布袋寅泰との確執についての噂の真相を解明していきます。

プロフィール

<氷室京介 プロフィール>

芸名:氷室京介(ひむろ きょうすけ)

本名:寺西修(てらにし おさむ)

生年月日:1960年10月7日

出身地:群馬県高崎市倉賀野町

血液型:O型

<略歴>

1960年10月7日、群馬県に生まれる。

中学生の頃から姉の影響で音楽を聴くようになる。

音楽に興味を持ち始めた頃はロックではなく、フォーク・ミュージックを聴いていたという。

高校生の時に同級生達とバンドを結成。

コンテスト等でも受賞するようになる。

高校卒業後はメジャー・デビューを目指し、音楽活動を続けていたが不遇の時期を過ごす。

1981年、同郷の布袋寅泰、松井恒松らとBOØWYを結成。

初ライブ後に高橋まことが加入し、1982年にデビュー。

当初は6人編成だったが同年秋に2人が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動する。

1987年12月24日、およそ6年の活動期間を以てBOØWYは解散する。

1988年4月4日、5日完成間もない東京ドームで、2日間にわたるBOØWYのライブLAST GIGSが行われ、BOØWYとしての活動に幕を下ろした。

1988年、シングル『ANGEL』でソロデビュー。

同年オリコン年間順位8位となった。

1994年以降国外での音楽制作が増え、1997年に家族と共にロサンゼルスに移住した。

氷室京介は人気絶頂の1987年にBOØWYの解散を発表し、翌年1988年からソロ活動を開始します。

超人気バンドのボーカリストということもあり、ソロ活動当初から話題となる。

以降は30年近くもの間、常にトップミュージシャンとしてファンを魅了し続けてきました。

2016年、耳の不調が悪化し、ファンに惜しまれつつもライブ活動を引退。

今後、どういった音楽活動をしていくのか期待されています。

布袋寅泰との関係は?確執はどの程度なの?

氷室京介はBOØWYの活動中から常に布袋寅泰との不仲が噂されていました。

氷室京介はBOØWYのボーカルであり、布袋寅泰はギターということもあり、バンドの中心を担っているメンバーです。

二人がBOØWYという人気バンドのツートップということもあり、人気が高まってくるにつれて、二人の関係性や実は仲が良くないんじゃないかという不仲説が注目されてきました。

二人の不仲説の噂が頂点になったのが、1987年のBOØWYの解散発表です。

人気絶頂の時期の解散ということもあり、解散の原因は氷室京介と布袋寅泰の不仲だと言われてきました。

この噂は実際のところどうなんでしょうか。

氷室と布袋、二人の出会い

氷室京介と布袋寅泰の二人の最初の出会いは高校の時だそうです。

二人とも群馬県高崎市出身で、年齢は氷室の方が一つ年上。

氷室も布袋も高校時代から友人とバンドを組んでいたそうです。

高校は違う高校だったが、お互いが同じ高崎でバンドを組んでいたこともあり、顔見知りだったようです。

当時の氷室は不良としても有名だったようで、年下の布袋は怖くて近寄れなかったとのことです。

高校卒業後は、氷室も布袋も音楽での成功を夢見て上京します。

ある時、氷室から布袋に電話をして久しぶりに再会。

そこで、氷室からバンドへの誘いを持ちかけられ、布袋がそれに承諾してBOØWYが結成されました。

BOØWYの解散を持ち出したのは布袋寅泰

最初にBOØWYの解散を持ち出したのは布袋寅泰だそうです。

具体的にいつ持ち出したのかは分かりませんが、布袋から解散についての意思表示があったようです。

最初に解散を提案したのは布袋だった。

それまでも「1位を取ったら解散」とメンバー間で話してはいたが、ブレイクする以前はまだ非現実的だった為、あくまでも冗談半分の扱いだった。

しかしながら『JUST A HERO』がメンバー全員にとって音楽的に満足のいく作品となり、『BEAT EMOTION』が初登場1位を記録し商業的にも成功を収めたことから、この時に初めて現実的な内容での話し合いが持たれた。

BOØWYの楽曲のほとんどは布袋が作曲ということもあって、実質布袋寅泰がBOØWYというバンドのサウンド・プロデューサーという立場にいたようです。

自身の作った曲で人気バントになったという自信もあったと思いますし、布袋にしてみればBOØWYの方向性が本当に自分がやりたい音楽とは少し違っていたのかもしれない。

だからこそ、本当に自分のやりたい音楽を追求するために解散を持ち出したのかもしれませんね。

布袋のある行動が氷室との確執の理由だとの噂

BOØWY時代の布袋寅泰のある行動が氷室京介との確執の理由だと言われています。

それがどんな行動なのかというと、布袋寅泰は私生活で1985年に歌手の山下久美子と結婚します。

1985年といえば、BOØWYの人気もまだそれほどではない頃です。

当時、布袋寅泰が人気歌手の山下久美子と結婚したことに周囲はかなり驚いたようです。

布袋は山下久美子と結婚する前から、山下のサポートギターをしていましたが、山下との結婚で布袋は山下のツアーに同行することが増えていったそうです。

布袋が山下のツアーへ同行する機会が増えたこともあり、布袋はBOØWYのメンバーにも「山下のサポートメンバーにならないか」と誘うようになったんだそうです。

布袋に誘われ、ベースの松井恒松も山下のサポートをするようになります。

そしてついにはドラムの高橋まことにもサポートの誘いがくるようになります。

こうなると、残されてしまうのはボーカルの氷室京介です。

1986年に発売されたBOØWYのアルバムである「JUST A HERO 」。

このアルバムは氷室が一人で打ち込みなどの作業をしたそうです。

なぜバンドのアルバムの作成を一人でやらなければならなかったのか。

後日氷室は、

BOØWYというバンドのメンバー同士の関係性が大人になっていった時だった。

と語っていますが、時期的にメンバーのほとんどが山下のサポートをしていて、氷室が一人でやるしかなかったのではないでしょうか。

布袋が山下のサポートメンバーへ引き抜きをしていたということで、まとまっていたバンド内がギクシャクし始め、この行動が氷室と布袋の確執の理由だと言われています。

こういった布袋寅泰の一人よがりな行動で、氷室と布袋は不仲になったのではないかとも言われています。

布袋寅泰は吉川晃司とも揉めている

実は布袋寅泰は非常にワガママだという噂も出ています。

布袋は1988年に吉川晃司とCOMPLEXを結成しますが、1990年には無期限活動休止、事実上の解散を発表します。

この原因は布袋と吉川の意見の食い違いとのことで、揉めていたことは本人達も認めています。

布袋と仕事を共にしたことがある藤井フミヤは布袋のことを、

あの人、ものすごいワガママでしょ?

と冗談めいて語っていましたが、これは真意なのではないかとい思います。

布袋寅泰という人は非常に無邪気でワガママなとこがあり、それが人間的魅力でもあると思います。

ですが、他人と調和しながらやっていくということはすごく苦手なのではないかとも思います。

そういう布袋寅泰の人間性は氷室京介も吉川晃司もわかっているから、長くは一緒に活動できなかったのではないでしょうか。

氷室京介と布袋寅泰の再会や共演

BOØWYの解散後は氷室京介と布袋寅泰の再会共演の話は出ていません。

氷室京介は自分のライブにBOØWYのドラムであった高橋まことを呼んで共演したことはありますし、布袋も松井恒松と高橋まこととは共演しています。

ですが、氷室と布袋の再会、共演は今まで一度もないです。

2016年、氷室京介のラスト・ライブの時には布袋寅泰はステージでの共演を訴えていました。

「せめて1曲だけでもギターを隣で弾かせてほしい」

布袋はブログでこのように訴えていたが実現には至りませんでした。

ファンも最後だからと、氷室京介のラスト・ライブでの共演を期待していたが叶うことはありませんでした。

氷室京介がライブ活動を引退してしまった現在では、氷室と布袋が同じステージに上がることはもう永遠にないのかもしれない。

氷室京介と布袋寅泰という二人の偉大なロックスターが組んでいたBOØWYというバンドは、ますます伝説になっていくのかもしれません。