松田聖子・郷ひろみの破局会見・別離会見の真実。破局の理由は?記者会見は芝居じゃないの?

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<出典元:https://asajo.jp/

今回は松田聖子郷ひろみについての記事です。

松田聖子と郷ひろみと言えば、1970年代後半から1980年代にかけて大活躍したアイドルであり、歌手です。

松田聖子と郷ひろみの二人は現在でも変わらぬ人気で、日本各地でコンサートを開催したり、TV番組に出演したりしていますし、芸能界ではスーパースターと言っても過言ではないと思います。

芸能界デビューから40周年を迎えている松田聖子と郷ひろみですが、実はこの二人、過去には大・大熱愛報道があったということをご存知でしょうか。

当時のスーパーアイドルの二人が大恋愛し、連日熱愛報道で世間を賑わせていたんですね。

そして、結果として松田聖子と郷ひろみの二人は破局することになるわけです。

破局後、松田聖子は神田正輝と結婚し、郷ひろみは二谷友里恵と結婚することになります。

結局、結ばれることのなかった二人なんですが、世間で有名なのは二人が破局した時の松田聖子の破局会見・別離会見なんですね。

会見が開かれたのは1985年ですから、もう30年以上前の会見ですが、未だに芸能会では伝説になっている会見です。

今回の記事では、この松田聖子・郷ひろみの破局会見・別離会見の真実に迫りたいと思います。

「松田聖子・郷ひろみの破局会見・別離会見の真実。破局の理由は?記者会見は芝居じゃないの?」と題しまして、噂の真相を解明していきたいと思います。

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目次

松田聖子・郷ひろみの破局会見・別離会見はどんな会見だったの?


<出典元:https://www.oricon.co.jp/

まず最初に、松田聖子・郷ひろみの破局会見・別離会見はどんな会見だったのかについて説明していきます。

この会見が開かれたのは、1985年1月23日

場所は東宝・砧スタジオです。

会見に出席したのは松田聖子一人です。


<出典元:https://search.yahoo.co.jp/

二人の破局会見・別離会見ということでしたが、郷ひろみはこの会見に出席していません。

松田聖子が単独で記者会見を開き、質問に答えるという方式の会見でした。

松田聖子と郷ひろみの馴れ初めは歌番組での共演。

お互い売れっ子歌手ということで、何度も共演を重ねる内、交際に発展したという。

また、松田聖子は芸能界デビューする前から郷ひろみの大ファンだったということもあり、郷ひろみと恋愛関係になりたいという気持ちがあったのだと思います。

松田聖子と郷ひろみは当時結婚間近とまで言われており、この破局会見はマスコミ内ではかなりの驚きがあったそうです。

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この破局会見で、松田聖子はなくなく郷ひろみと別れることになったと涙ながらに話します。

そして、「今度生まれ変わったときには、きっと一緒になろうねと話し合った」という名言を放ちます。


<出典元:https://search.yahoo.co.jp/

この「今度生まれ変わったら、きっと一緒になろうね」という言葉は当時の流行語にもなるくらいインパクトのある言葉でした。

あと、松田聖子は泣いても涙が出ないというのは有名な話です。

松田聖子・郷ひろみの破局会見・別離会見の真実


<出典元:https://www.nikkan-gendai.com/

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さて、一人で郷ひろみとの破局会見・別離会見を開いた松田聖子ですが、この会見には不可解な所がたくさんあり、表立ってない隠されている真実があるのではないかと言われています。

ここからはこの隠されている真実について調べていきたい思います。

まず、この松田聖子が単独で行った破局会見・別離会見ですが、当事者である郷ひろみには一切知らされてなかったと言われています。

要は、松田聖子が勝手に開いた会見だということです。

また、会見中の名ゼリフ「今度生まれ変わったら、きっと一緒になろうねって話し合った」という言葉ですが、これも郷ひろみにとっては寝耳に水であり、そんなことは言ってないというのが真実のようです。

この会見にはウソがあったと石川敏男氏が指摘する。

「郷ひろみは会見することも知らなかった。おまけにあんなセリフも言っていないそうです。その頃、聖子はすでに神田正輝と交際していましたからね。それを正当化するための涙であり、名セリフだったと思いますね。全てが計算づくの彼女らしい会見でしたね」

<引用元:https://www.asagei.com/

松田聖子が会見を開いた時には、後に結婚することになる神田正輝と既に付き合っていたというのですから驚きです。

次に、この破局会見・別離会見の場所が東宝・砧スタジオということですが、何故この場所なのかというと、当時の松田聖子には映画「カリブ・愛のシンフォニー」の撮影が控えていたからだということです。

しかも、この映画「カリブ・愛のシンフォニー」での共演がきっかけで、松田聖子は神田正輝と交際し結婚するわけです。

「生まれ変わったら一緒になろうねって……」

 流行語にもなった言葉を、大粒の涙とともに聖子は口にする。映画の撮影スタッフは、それをすぐ近くのテレビ画面で眺めていた。

「大丈夫かい?」

 鈴木はスタッフにつぶやく。この状態では、このあとの撮影はできないだろうなあ……。やがて会見がすべて終了し、聖子が鈴木たちの前に現われた。

「は~い、皆さん、お待たせしました! さあ、撮影をやりましょう」

 鈴木は、何という女だろうかと思った。

「この強靭な精神力こそ、芸能人だと思ったよ。いや、これこそ松田聖子だと」

 ある意味、究極の女優像だったかもしれない。

この破局会見・別離会見後に、松田聖子は何食わぬ顔で撮影をしたというのですから、相当肚の据わった女性ですね。

まぁ、このくらいの気性でないと群雄割拠の芸能界では生き残っていけないということなのかも知れませんね。

松田聖子と郷ひろみの交際期間は?破局の理由は?


<出典元:https://search.yahoo.co.jp/

松田聖子と郷ひろみの交際期間ですが、約4年だということです。

1981年に二人の熱愛報道が出て、1985年に破局ということですね。

しかし、松田聖子の破局会見の時には既に神田正輝と付き合っていたということですから、実際はもう少し短いということになりますね。

そして、二人の破局の理由ですが、松田聖子と郷ひろみの両親間で考えが食い違ってしまったからということです。

実際には松田聖子と郷ひろみは結婚寸前だったということです。

そこまで行ったのですが、結局は破局することになってしまったということです。

ただ、気になるのは松田聖子と郷ひろみの両親間で考えが食い違ってしまった」という点です。

本当は他に真実があるのではないかと思います。

おそらくですが、両親間の考えの食い違いというより、松田聖子が郷ひろみに愛想を尽かしたからではないかと思います。

破局会見の時には既に神田正輝と付き合っていて、会見の半年後には神田正輝と結婚するんですから、松田聖子の気持ちはもう冷めていたんでしょうね。

本当に郷ひろみのことが好きなら、松田聖子は両親間の食い違いなんかもろともせず結婚するでしょう。

そのくらいの気性の激しさはあると思いますよ。

松田聖子の記者会見は芝居じゃないの?


<出典元:https://rollingstonejapan.com/

では、あの涙の記者会見は何だったのかというと、おそらくあの会見は松田聖子の芝居でしょうね。

嘘の涙を見せ、嘘の名ゼリフを言い残し、インパクトを与えに与えて終わった会見でしょうね。

その後には自分の映画が控えている。

その恋人役は後の結婚相手になる神田正輝。

もう全てが松田聖子劇場であり、自分自身をプロデュースしたのだと思います。

当時、松田聖子は23歳です。

恐るべし、松田聖子です。

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